実際に目で見て確かめることの大切さ

自分の意見を持つのは大切なことだ。だから、自分の意見を持つからには、その意見に対してはしっかりとした知識を持っておきたい。

我々が自分の意見を持つとき、まずは感情によるところが大きい。好き、嫌い、なんかいい感じ、なんか嫌な感じ、などの好き嫌いの感情から意見する。

過去の自分の経験や取り入れた知識からの意見もある。ある本にこう書いてあったからこうだ、自分がこうやってみてこういう結果だったからこうだ、ということもある。

そして、自分の感情的なものや過去の経験や取り入れた知識などから作りあげられた信念に基づいて意見を持つこともある。

こうして自分の意見を持つということは、何も考えないことよりもいいことであり、自分自身をよりよくしていくものであるが、ここにもうひとつ、意見を持つ対象に対する理解ということを大切なものとして含めておきたい。

例えば、靖国神社の参拝に関しては賛否両論ある。中国や韓国などの隣国の批判が強い。隣国とは仲良くすべきだから靖国神社には参拝すべきでない。あるいは、靖国神社には日本に尽くし、命を落とした人々が眠っている。死者に対する礼拝の気持ち、日本の文化を他国がとやかく言う筋合いはない。だから靖国神社に参拝すべきだ。このように、多くの人がひとつのことに対して現在の状況や自分の信念にしたがって意見を持つ。

このとき、意見を持つ我々は靖国神社に対してどれほどの知識を持っているのだろうか。東京都千代田区にあるなんか豪華そうな神社ぐらいの知識しか持ち合わせていないのではないか。少なくとも私はそうだった。

実際に靖国神社の歴史や祭られている人々のことに対して、より深い知識を持っておいたほうが、自分が持っていた意見をより強固なものにしたり、あるいは自分の意見は浅はかなもので改めたほうがよかったと、より自分を自分の思う正しい方向へ進める手助けになる。

意見を持つ対象に対する理解を深めるには、実際にその対象を見てみることが一番だ。百聞は一見に如かずという言葉もある通り、実際に見に行くことは本を読んだり、Wikipediaでちょろっと調べたりすることよりも、より多くの理解を生む。

靖国神社なら都内近県に住む人ならちょっと足を伸ばせば行けるところにある。靖国神社と、ちょっと見るのには時間を要するが隣接の遊就館を見学すれば、靖国神社に対する理解は深まる。その上で靖国神社の参拝問題を改めて考えてみるのもいいのではないだろうか。

ここでは自分が靖国神社に行ってみてどう思ったとか、どういう意見を持っていてどのように感じたなどということは述べない。だが、賛成意見にしろ批判にしろ、意見する対象物をしっかりと自分の目で見てから判断しても遅くはないと感じた次第だ。