浮気されてもいいというスタンスが幸せを招く
お付き合いする相手が浮気をしてもいいというスタンスをとりたいと考えていますし、付き合ってきた人にもそう接してきました。それは、相手を人として尊重したいからです。
恋人ができたとき、相手が浮気してもいいというスタンスをとりたいので、比較的つきあい始めの頃に浮気をしてもかまわないということを伝えています。それが相手を人として信頼し、相手の自由を尊重することにつながると考えるからです。
自由を尊重するということ
自由の権利というのは相手の自由を尊重してこそ、自分の自由も尊重されるものだと考えています。恋愛において恋人同士になったとしても、相手の自由を極力侵害したくないのです。
たとえば、1日に10回はメールしないといけないとか、電話は必ずしなくてはいけないとか、おはようとおやすみメールは必ずとか、自分以外の異性と食事に行ってはいけないとか、恋愛相手をルールで縛る人の話をよく聞きます。ケータイをチェックする行為もよく聞きます。
このような付き合いはうまくいかないと思っています。相手の自由を侵害しているからです。相手を人として信頼していないから、相手を束縛したくなるのです。もっと言うと、自分を信頼していないから、自分に自信がないから相手を束縛していないと不安になるのです。
そんなに束縛して、あなたは本当に相手のことを愛しているのでしょうか。自分の征服欲、支配欲を満たしたいだけではないのでしょうか。束縛する人は自分のエゴを満たしているに過ぎないのです。さらに言うと、人権侵害です。
あなたに相手を束縛する権利はありません。
相手を人として尊重し、相手の自由を尊重し、適切な距離感を保つから長くつきあえるのではないでしょうか。
人間は完璧でないことを認める
浮気するという行為が現在のこの社会において「悪い」という多数派の意見に従うとして、それでも浮気をすることを認めたほうがいいと考えます。それは人間が完璧ではないからです。
人生の中で何度も間違えたり、寄り道や脇道にそれたりしながら進んでいくのが人間です。直進ではないのです。その間違いや寄り道のたびに「許せない」だの「もう、お別れ」だの言う行為は生産性がないと考えます。
人は間違える生き物だから、相手の間違いを受け入れてあげる(浮気をしてもいいというスタンスをとる)と、相手が戻ってきたときに暖かく受け入れてあげられると思うのです。
自分だって、いつどこで心を奪われるかわかりません。それは相手も同じだということです。
浮気の心配をしなくていいと楽でしょ
相手が浮気をしてもいいというスタンスをとると、浮気の心配をする必要がなくなります。相手が自分以外の異性と会っていないか不安になったり、ケータイをチェックするような汚い行為をしたり、相手が自分となかなか会ってくれないことにイライラしたりしなくてもいいのです。
精神的に楽です。
相手は相手です。自分は自分です。相手が何をしていようが自分は相手のことが好き、ただそれだけなのです。
相手が浮気をしてもいいというスタンスをとることは、自分が精神的に楽をできるということです。
意外に浮気しない
相手が浮気をしてもいいというスタンスでいると、不思議と相手は浮気をしないものです。もちろん、完璧ではありませんが(悪意のある相手には通用しません)、高い確率で浮気されることはないです。
浮気の心配をしている人ほど相手に浮気をされるものです。もし、はやりの引き寄せの法則が本当なら、浮気の心配をしているから浮気を引き寄せているのではないでしょうか。
相手が浮気をしてもいいと思っていると、自分が浮気の心配をしないので楽ですし、相手もぎすぎすした思いをしなくてもいいので浮気をする気も起きないのではないでしょうか。
浮気をしてもいいというスタンスで自分も相手も楽になるのです。