やさしい人をやめる勇気

やさしい人は、本当はやさしい人ではありません。やさしさと臆病は紙一重です。自分を犠牲にしてやさしさを演じているだけです。

やさしい人が好きですか?

では、やさしい人ってどんな人でしょうか?

自分の心に干渉してこない人で、自分の言いなりになってくれる人ではないでしょうか。自分の言うことを何でも聞いてくれる人、自分を最優先にしてくれる人、そういう印象をお持ちだと思います。

やさしい人って、本当にやさしいのでしょうか?

答えは「No」です。

やさしい人は相手に干渉することなく、相手の言うことを何でも聞いてあげます。相手を最優先にしてあげます。相手が嫌な思いをする姿を見たくないから、言い返されるのが怖いから、人が傷つくのを、自分が人を傷つけるのを実感するのが怖いから。

だから、やさしい人は人にやさしくするのです。でも、本当にやさしい人ではありません。やさしい人は最も大切な人を傷つけているのです。

やさしい人本人です。

やさしい人は相手の嫌な姿を見るのが怖いから、自分を犠牲にして相手の立場に合わせてしまいます。自分が相手のいやがる姿を見るのが怖いのです。臆病なのです。自分が傷つきたくないのです。でも、それによって自分を傷つけているということに気づいていないのです。

自分を傷つける人がやさしい人だと思いますか?

自分にすらやさしくできない人が人にやさしくできると思いますか?

本当にやさしい人は自分がやさしさで満ち足りています。その分け前を人に施しているのです。人の言うことを何でも聞いたり、人の心に干渉しないのは、本当のやさしさではありません。人の言うことがすべて最善だとは限らないのです。人を傷つけても、その人のために言わなくてはいけないこともあります。その人のために断らなくてはいけないこともあります。何よりも、自分に対してやさしくするために、その人に合わせないようにしなくてはいけないこともあります。

自分を犠牲にしている人は、やさしくするときに実は苦痛を味わっているのです。自分は苦しいのです。「自分は苦しいけど人のためなら自分なんて…」と必死で言い聞かせているだけです。本当は「苦しいよぉ」、「助けて欲しいよぉ」と叫んでいるのです。

自分がやさしい人であると感じているなら、いまがやさしい人をやめるチャンスです。

自己犠牲を伴う他人の幸せを願う心は、小さい頃から植え付けられたメディアの商業主義によるステレオタイプでしかありません。

まずは自分にやさしくしましょう。

自分が満ち足りてきたら、少しの分け前を人に施してあげればいいだけです。その人にコミットする必要はありません。やさしさはコミットメントではないのです。

やさしい人をやめる勇気を持ちましょう。

そして、やさしい人をやめましょう。

自分にやさしさが十分に満ち足りたとき、本当のやさしい人になれると信じながらやめましょう。

私もがんばります。