カップ麺はタイマーで時間を計るよな?

カップ麺を食べるとき、お湯を入れて所定の時間を待つことになります。そのときに、タイマーで時間を計らないことは、おいしいカップ麺を食べることを放棄していることになります。

オフィスでどん兵衛を食べようとしたときのことです。

どん兵衛はお湯を入れて5分待つことでおいしいうどんができあがります。私は当然、ちゃんと5分を計るためにお湯を入れるポットのところでiPhoneのタイマーを起動します。どん兵衛のふたを開け、あとで入れるつゆを温めるためにふたの上に載せ、唐辛子の袋を取り出してお湯を入れます。

お湯を入れ終わって蓋を閉めたらすかさずタイマーをスタートさせます。

4:59

4:58

4:57 …

カウントダウンが始まります。

そのままお湯の入ったどん兵衛を持って自席に戻ろうとしたとき、ある同僚からの驚きの声を聞いてしまいます。

「え、いちいち計ってるの?」

私は一瞬、何が起こったのか理解できませんでした。

カップ麺をつくるんだから、ちゃんとお湯を入れて待つ時間は計るよねと訊くと、次のような答えが返ってきました。

「そんなんテキトーだよ。大体これぐらいかなって感じで」

驚くべきことに、その人はカップ麺をつくるときに時間を正確に計らず、そのときの体感時間に任せているのでした。体感時間は元々曖昧ですし、そのときの体調や心理状況によっても変わってきますので、正確な時間とはいえません。そんなものに麺のおいしさをゆだねているのです。

私は聖闘士星矢の登場人物のごとく「バカな!」と思い、近くにいたほかの同僚に訊きまくりましたが、皆が皆揃いも揃って「普通、計らないよ」とか「そんなの大体だよ」と答えるのに驚きを隠せませんでした。そのとき、私は異端児扱いです。のけ者です。ちょっとしたいじめです。しかも、そう言っているほとんどの人は”そんなバカなことをしているのは君だけだよ”という表情で言ってくるではないですか。

そして、もう私が何を言っても聞く耳持たず状態です。

これが同調圧力というやつでしょうか。

異端児を排除する動きはまさに日本人にありがちな村八分行為です。

だけど、私はそれでも孤高でいたいと思います。

カップ麺をつくるとき、ひいては料理をするときに時間を計らないということは、おいしく食べるということを放棄していることになります。例えば、カップ麺のふたの上に書いている時間は、熱湯を入れてその時間を待つことでおいしく食べることができるということを、わざわざメーカーが示してくれているのです。メーカーの推奨値なのです。

もちろん、ちゃんと正確に時間を計った上で「自分は固めが好きだから1分早めに食べ始める」とか「私は柔らかめがいいからもう2分待つ」という好みを反映した判断はありだと思います。

だけど、それすらせずにテキトーにすませるということは、毎回麺の味が変わってしまうということです。好みの反映ですらないのです。麺のおいしさをそのときの体感時間、もっと言うならば運に任せているようなものなのです。

せっかく食べるのであれば、いまいちな状態のカップ麺よりもおいしいカップ麺を食べたほうがいいに決まっています。それをあえてまずい状態で食べようとする行為は私には理解できませんでした。

皆さんはカップ麺の時間をタイマーで計っていますか?

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