人はなぜプログレスバーを眺めるのか?
私たちを惹きつけてやまないプログレスバー。どうして、私たちはプログレスバーをいつまでも眺めてしまうのでしょうか。時間の無駄であることがわかっているにもかかわらず。
パソコンで何かの処理をするときに表示される左から右に少しずつ進んでいく横棒、プログレスバー。プログレスとは進行や前進という意味があり、その名の通り、処理の進捗を表現しています。
プログレスバーの進み具合で、いまの処理がどのぐらいまで進んでいるのかがわかるようになっています。ただし、Windowsの多くのプログレスバーは、プログレスバーの長さが100%になっても、また最初に戻ることが多いので、処理の進捗はあまりわかりませんが。
このプログレスバー、気がついたらしばらく眺めていたということはありませんか? プログレスバーの長さが100%になるまでは待ち時間なので、別の作業を始めるなり、コーヒーでも入れに行くなりすればいいのに、じーっと眺めていることはありませんか?
いまやっている処理が終わるまで何もすることがないのなら、なおさら違うことをすればいいのに、画面を食い入るように見つめて、プログレスバーが進み終わるのがいまかいまかと言わんばかりに待ち続けていませんか。
しかも、進み具合が遅い場合、いまの場所にマウスカーソルを置いて、ちゃんと進んでいるかをわかるようにしちゃったりして、少しでも進むとい嬉しかったりしませんか。
人はなぜプログレスバーを眺めるのでしょうか。
プログレスバーが少しずつ進んでいくと仕事をしている気になるからでしょうか。早く終わるのではという期待感から眺めはじめて、時間がかかっても引くに引けずにそのまま眺め続けてしまうからでしょうか。
そして、我々の期待を乗せて進んでいくけど、人の想いを踏みにじるようにエラーを吐いて途中で止まっていたりした日には、もう思いっきり画面を殴りつけてやりたい気分になったりします。昔、ワイヤードか何かの記事で、世界のコンピュータのうち4台に1台は虐待を受けているというのがありましたが、プログレスバーはその台数を増やす原因になっているのではと思ってしまいます。
このプログレスバー、表示するためにCPUを無駄に使っているのだから、表示しないほうが早く処理が終わるのですが、人というのは不思議で、進捗がまったく表示されない状態で待たされるよりも、少し遅くても進捗が見えたほうが処理が早いという判断をくだしたりします。
プログレスバーを表示しない場合、処理の待ち時間は、処理が開始してから終了するまでとなります。処理の時間が長ければ、長く待たされた感が強く残ります。でも、プログレスバーを表示すれば、細切れに進捗がわかるので、感じる待ち時間はプログレスバーが次に進むまでの時間となり、それが連続していても、長く待たされた感覚は薄くなります。
プログレスバーが進捗を刻むので、長い待ち時間ではなく、短い待ち時間の連続となり、長時間待たされることはないと脳が勘違いして、プログレスバーを眺めさせるのではないか、と妄想をしながら、今日もプログレスバーの罠にはまっています。
もう、プログレスバーはやめて、「トイレに行く時間ですよ」とか「スターバックスに行きましょう」とかメッセージを出したほうが親切なのではないかと思ったりしながら、ようやく席を立ってコーヒーを買いに行こうと思います。